成り上がり悲劇のヒロイン

 

悲劇のヒロインて、

楽しいよね。笑

 

まぁ自分の中で自分をヒロインに仕立て上げることを、悪いとは思わないし

私だってわりとそういう思考を持ちがちだし。

人に迷惑かけないならいいと思ってる。

 

友人の恋愛相談を受けて。

簡単にまとめれば、彼氏がいるのに別の男の子と仲良くなっててその子の方が心開ける的な話であって。

 

個人的意見としては、べつにそれでいいんじゃない?と。何が問題なのだろうかと。

 

いやそれで彼氏の方にもう気持ちがないなら別れりゃいいし、新しい男は気があう友人ならそれもそれでいいし。

 

中途半端で悩む、とか、申し訳ないとか、いやいやいやあんたはどんだけ偉いんだ?と。

 

男女の関係は恋愛しかないと思ってるのだろうか。

友情が成立してたっていいじゃない。

 

しかしまぁ、話を聞いてると

随分自分に酔っていて。

ああこれは恋に恋しちゃってるパターン。

恋する自分が好きなだけ。

 

多分、新しい相手がついこの前彼女と別れて、なんとなく障壁がなくなって、

なんとなく彼氏とうまく行ってなくて、

気になって来ちゃうという、

成り上がりな悲劇のヒロイン。

 

一過性のやつ。

大した話じゃないと思うんだけどなー。

違うのかなー。

理由が欲しい

 

表参道とかのザおしゃれな街が好きで、

かっこいい男の子と遊ぶのが好きで、

 

っていうと典型的な女の子というか、

わかりやすくキラキラ女子だって言われるんだけど。

 

私も「そういう女の子」になりたいから言ってるのかなぁって自分で思ってたのが、最近本当の理由に気がついた。

 

おしゃれをして着飾って出かける理由が欲しいんだ。

 

おしゃれな街に行くなら、それなりの格好をしなくては浮いてしまうし、

周りの目が気になって楽しめない。

かっこいい男の子の隣を歩くなら、少しでも可愛くなりたい。いつもより丁寧にメイクをして、一番可愛い自分になりたい。

 

純粋に自分のためにお金を掛けるって、それができるほど心の余裕もないわけで。

 

なんらかしらの理由をつけなきゃ、恥ずかしくって張り切ったおしゃれをするのは気が引けてしまうから。

 

めいいっぱい可愛い自分になるためになるべくおしゃれな街にいたいし、

かっこいい人の側を歩きたいし。

 

だから、憧れの街に住みたくて、

イケメンな彼氏が欲しい。

 

うん、欲しい。

 

誰が言うか、誰に言われるか

 

何を言うかよりも誰が言うか。

同じ話でも、誰に言われているかで受け取り方は180度変わる。

 

とても尊敬できる人から、

信頼してる人から、

大好きな人から、

憧れている人から、

素の自分を知っている人から、

そんな人たちの言葉はやはり、

重みが違うし受け入れざるをえない。

 

だけど、

だからこそ、

 

でもとかだってとか言って

甘えてみたくもなるのだ。

ぐうの音も出ないほどの正論を突きつけられているのだけど、

そこに対して素直に頷く為の何かを求めようとしてしまう。

 

逆に、そうでもない人から言われた言葉は簡単にイエスと言える。

それが響いてるかどうかは別物で、

ただただ「聞こえました」という意味合いしかないイエス。

 

私はそんなことが言いたかったわけじゃない、とか

それを言われたところでどうしろと、とか

なんでそんな風に言えるんですか、とか

反論はいくらでも思いつくのだけど、

あぁこの人はやっぱり分かってくれていないんだで納得できてしまうから。

とりあえず返事だけしておくのだ。

 

とっても矛盾しているようだけど、

心の動きとしてはそれが当たり前な気がする。

 

だから、大切な人たちにはいつも迷惑ばかりかけちゃって。

ごめんなさい、いつも。

 

でも、その言葉が本当は心に刺さっているのだ。

 

 

何かやらなきゃ症候群

 

休みだから休むための時間でしょ。

というのは苦しい言い訳で。

そう、休みの日に予定がないと不安になってしまう。

 

2連休だとどうにか片方には予定が入って、

もう片方にも予定を入れるとなんだか休まらない気がして、

でも何もない1日ってなんとなく嫌で。

 

あれ、私って友達いないのかな。とか

1日無駄にしちゃったな。とか

自分がとてつもなく面白くない人間のような気がしてくる。

 

何もない日って、お昼まで寝てスーパーに行って掃除をして洗濯をしてで、1日が終わるわけだけど。

本当に中身がない1日なのだ。

 

学生の頃は、何もない1日に家でダラダラしてるのってわりと幸せだったんだけど、あれは休み以外の日々が楽しくて充実していたからで。

まるっと休んでも1日くらいどうってことなかったから。損した気分にもならなかった。

 

それが今では、普段の1日がマイナスの気持ちの方が大きいから、せっかくあるプラスを産める日の過ごし方が重大になる。

それが休みの日。

休みの日にめいいっぱいチャージしないと、普通の日々がままならない。

かといって、遊びすぎると燃料切れになる。なんて矛盾。

 

ちょうどいい遊びを探してるんだけど。

習い事とか、こう一人で有意義な時間が過ごせる方法はないかしら。

 

なんというか、お金がそんなにかからなくて、気分転換になって、っていう物。

 

半年くらいずーっと考えてるんだけど、何も思いつかないんだよなぁ。

 

むしろリラックスな時間を充実させようとはならないのが。

やっぱり貧乏性。

 

あーなんかやらなきゃなぁ。

 

 

しごと

 

ちょっと前まで、

仕事を辞めるだのやりたくないだの

大騒ぎしてたんだけど。

 

ふと気が付いたらそんな気持ちが落ち着いていた。

でも、やる気が出たとかモチベーションが上がったとか、いい意味ではない。

 

「ああ、こうやって日々を乗り越えていれば、お金ももらえるし、時間もすぎる」っていう、120%諦めの境地みたいな発想。

そういえば出世欲とかもないから、

成功しなくてもまぁいいかみたいな。

 

さて、これはいかがなものか。

 

多くを望むから辛かったし、日々に嫌気もさしてたけど。何も望まないなら、別に嫌な気分にもならないし。

 

日々はノルマみたいなもんで、よし乗り越えた、お金もらえた。よしあと1日で誰々に会える、どこに行ける。

そんなんで生きてる。

多分仕事って1日の多くを費やすもので、楽しんだり工夫ができたらいいのかもしれないけど、

私には乗り越えるもの、こなすものとしか思えない。

 

…うーん、これで合ってるのかな。

世界中の人がこうやって思いながら生きてるんだとしたら、世界は本当につまらないと思うし、

そんななら社会の一線からは早く退いて、子育てなりなんなりして別の方向から社会に関わってたい。

 

夢も目標もないから辛いのか、

夢も目標もあるから辛いのか。

年の瀬ひとりで過ごす夜は、いつも以上にセンチメンタル。

 

願わくは来年の年末は、ちゃんと年の瀬を感じてちゃんと年越しをしたい。

お願いだから、「普通」の生活がしたい。

 

逃げるは

 

恥だが役に立つ…のだろうか。

 

年の瀬、いろんな人が一年間を振り返っていて。ふと見たFBで懐かしい友達を見かけました。

それは私が、20年近く持ってた夢を追ってた頃に出会った友達で。

 

そう、あの頃の私は今より何百倍もあまっちょろい女の子だったけど、

とってもキラキラしていたのです。

なぜかって、やりたい事がわかりやすくあって、真剣にそれを追いかけていたから。

 

まぁ、結局のところ、

その道からは逃げたんだけどね。

社会から否定されるのが怖くて、本気になって失敗するのが怖くて。

今から考えたら、逃げ出した。

それよりもっとやりたい事があるっていって、よく言えば他の道を選び、悪く言えば…いや、正しく言えば逃げた。

 

その夢は、志半ばで。

言い訳がましいけど、私は本当にこれがしたかったの?と疑問に思ったのは事実。それは認めてあげていたい。

別の目標が出来たけど、それには120の力を注いだはずなんだけど、うまくいなかった。

 

それが、2015年の夏。

何度も何度も泣いて泣いて。

 

そして2016年の春に、私は理解はしてたが納得はいかない道に進んだ。

もう一度やり直す度胸すらない人間に、あれもこれも嫌だと言う資格なんてない。

 

ぐっと堪えながら、なんとなく誤魔化しながら。時々破裂しながら。

なんとなく1年が過ぎたわけで。

このままだと、妥協でここにずっと居られる気がする。こうやって毎日を繰り返せば、いつか変わる日が来るなんて思ってたけど。

 

その友人を久しぶりに見つけたら、

柄にもなくもう一度その夢を追いかけたくなってしまった自分がいて。

このままじゃ、こんなんじゃ終われないって思ってる自分がいることに気がついた。

 

逃げたら、楽になるはずなのに。

もう少しで楽になれたのに。

それじゃあやっぱり許せないって思うんなら。

腹をくくってやり直せばいい。

 

2017年は、もう少し、

危険な賭けに出てもいい。

そういう意味では、今の道から逃げることも正義であって。

なるほどそれならやっぱり、

役に立つのかもしれない。

 

 

不毛な恋ほど盛り上がる

 

女の子が複数集まれば、

共通の敵の悪口か恋の話しかない。

 

その輪の中に彼氏持ちの人がいれば、たちまちそうは見せない彼氏自慢、もとい、誰かに愛されている私主張が始まる。

 

がしかし、フリーが集まるとどうだろうか。

前菜を食べ終わる頃に1回目の彼氏ほしい。

メインを取り分けて、彼氏ほしい。

スイーツを選びながら彼氏ほしい。

という、彼氏ほしいのオンパレードとなる。

 

フリーたちの彼氏ほしいトークにもルールがある。

それは、本気すぎないこと。

ここで本気の恋の話をするべきではないのだ。

本気の相談は初めからそう題して集まらなくては。

とりあえず食事行こう、の時の会話はフェアでなくてはいけない。

全員が気持ちよく平等に傷つくべきものなのだ。

 

ということで、

叶いそうで叶わない

もしくは、かつてこんな事があった

的話が最も適している。

 

なんと生産性がないこと…!

しかしまぁなんと楽なこと。

「え、それいけるって」という言葉の無責任感。そして微妙な気持ちよさ。

 

元々、どうにかならないかなーと若干期待をしている関係だから、いいと言われて悪い気はしない。

聞いている方は本気度が高くないと分かっているから相手の顔を見ながら適当に煽ることも出来る。

 

だから、もしかして本当にどうにかなるんじゃないかという気分にさせられる。

 

そしてさらに盛り上がる。

向かっている方向としては負だが、お互いの気持ちは正のスパイラル。

 

会が終わるときには、次の報告楽しみにしてるー!と、あたかもごく普通の恋の話にすり変わっている。

 

しかし立ち返れば本来は恋にならないB級品なネタなのだ。

次回話すときには、全く違う相手との全く違う不毛な恋の話に変わっている。

 

なんと不毛なことか。